今から5年前の2003年、3月1日~3月10日まで全国を旅したことがあった。
当時私が住んでいた北海道北見市からJRが季節ごとに発行している「青春18切符(以下18切符)」を購入して行った。18切符は、JR全ての普通列車と快速列車の自由席が期間内であれば合計5日間乗り放題の切符である。
3月1日は、北海道の高等学校の卒業式だったこともあり、北見駅は朝から混雑していた。確か9時10分発の特別快速きたみに乗車して旭川へ行き12時20分頃到着し、旭川駅前のまちなみを見た後に、普通列車の岩見沢行きに乗車、岩見沢駅から快速のいしかりライナー札幌経由小樽行きに乗車しようと思ったら、駅の電光掲示板に「室蘭本線・苫小牧行き」の文字が表示されていて、急遽その列車に乗車した。途中まで高校生が9割近くいたが、途中の追分位になると私を含めて数人しかいなかった。そして、苫小牧に到着してすぐに東室蘭行きに乗り換えをして、東室蘭から室蘭行きに乗り換えをした。
室蘭駅から室蘭フェリーターミナル(以下FT)までは徒歩で約10分位の距離であり、タクシーを使用する距離でもない。ゆっくりと歩きながら途中でコンビニに寄ったり、「ここが、室蘭入江競技場かぁ~」と呟きながらFTに到着した。
室蘭フェリーターミナルは、当時東日本フェリー(現:リベラ)専用で、室蘭から青森・八戸・直江津行きの各フェリーが発着していた、北海道在住時代、一番利用したフェリーターミナルである。私が室蘭からは大洗や直江津航路を利用したものだ。よく乗船したフェリーは当時室蘭←→大洗に就航していた「ばるな(現:さんふらわ さっぽろ)」や「へすていあ(現:さんふらわ ふらの)」であった。次いでよく利用した航路は室蘭←→直江津のれいんぼうらぶ・れいんぼうべる(利用時期:1998年~2000年)、ニューれいんぼうべる・ニューれいんぼうらぶ(利用時期:2001年~2002年)であった。最初に利用していた時のれいんぼう○○は、超豪華フェリーといった感じで、割増料金などが取られなかったので学生のクセに特等や1等に乗船していた、この船は、すでに廃船になってしまっていて、この船を見るには、「白い船」という映画か、「LIMIT OF LOVE海猿」でしか見られない船である。
話は、旅に戻す。私は青森行きに乗船した。当時の青森行きは、現在青森←→函館航路に就航中の「びるご」であった。中距離航路だったので、2等客室に入った。室蘭を23時25分に出港して青森に6時30分に到着した。青森FTからは、タクシーを利用してJR青森駅に行った。ここから盛岡に行くには、2つのルートがある。1つ目は青森から東北本線と第三セクターを利用して行く・2つ目は青森から秋田県の大館を経由して花輪線で盛岡に行くルートがあった。金銭的にも余裕がなかったので、大館周りで行き、盛岡駅の5つくらい手前の駅の好摩駅までJRの区間であり、好摩~盛岡までは第三セクターであったので、最小限のリスクで済んだ。
盛岡に到着すると、すぐに駅前にある「東屋」というわんこそばのチェーン店に入店して、わんこそば(2500円~)を注文した。店内のお客はほとんどわんこそばに挑戦していた、私はその日の最高記録166杯を食った、ちなみに15杯で1杯のかけそばにあたるらしいので、かけそばでいうと11杯食べた計算になる。すぐに、仙台方面に行く列車に乗らなければならなかったので、重い荷物を持ってダッシュでホームへ行き電車に乗りました。電車に乗ると初めて見た光景がありました、それは数人の学生がバンカラといいましょうか、下駄にはかま姿でびっくりしました。そしてその日は、仙台で一泊。
翌日は、ゆったりとした行程で、仙台から名古屋行きのフェリーに乗船しました。そのフェリーの事をここに記載してしまうと大変な行になってしまうのでここは簡略。しかし、翌朝名古屋には9時20分に到着予定でしたが天候の関係で3時間遅れの12時過ぎに到着した。
実はその日のうちに、なんと広島まで行かなければならなかった、すぐに時刻表とにらめっこして、電車での乗り継ぎをした。観光名所である、京都や大阪をすっとばして、岡山で多少時間調整をして広島へ行った。広島では初めて乗った路面電車が最終便の宮島口行き、「流川」という地域に宿を取っていた、しかしその地域は多少物騒な地域らしいく、やさしいおばちゃんが声をかけてくれて「あんた、広島の人じゃないね」と言われ、その宿まで案内してくれた。
次の日、私のゼミの講師がいる別府まで行く事になっていた、またその日も電車を乗り継いで九州上陸。途中、宇佐という駅で約2時間待ちだった、2時間待ちというのは、北海道で何度も経験していたことだったのでそんなに苦ではなかった。やっとの事で別府駅に到着。そして、ゼミの講師がいる立命館アジア太平洋大学までバスで行きました。その大学は、ほんと山の上にある大学でもう霧の中でした。私のいた大学と違ってそこらじゅうに監視カメラがついてセキュリティがしっかりしているところであった。その日は、ゼミの講師宅で1泊した。
翌日2人で泥湯に行った。そこは、肌が超スベスベになるところで、全てにおいて温泉+泥が使用されていて水着着用なしの混浴であった。私たちが行った時は開店直後であって客も私たちだけであった。上がったころには....でした。
夕方、ゼミの講師と別れ、私は別府観光港から大阪南港までフェリーで移動して、大阪まで出て、中学の同級生がいた金沢まで行った、さすがに金沢までは、普通列車ではなく、学割が残っていたので特急で行った。金沢では、兼六園に行ったり、北海道のローカル番組である「水曜どうでしょう」の全国絵はがきの旅で紹介されていた、武家屋敷を探しに行って写真を取った。ただ金沢にはその目的のために行っただけである。金沢で1泊もしなくて、夜出発の急行能登号に乗車して東京へ大洗からフェリーに乗船しようとチケットを取っていたが、私が乗船しようとしていたフェリーが爆弾低気圧のおかげで急遽欠航になってしまい、東京行きを諦め、新潟まで行く事にした。
その日のうちに、新潟から秋田経由の苫小牧東港行きの新日本海フェリーに乗船した。予定よりも1日早く北海道に帰ってきてしまったので、ホテルは取っていなかったので、フェリーに乗船した時に札幌にいる大学の友人に電話で宿泊できると確認してOKをもらって安心して北海道へ帰りました。
苫小牧駅に到着して、そいつに確認してみたらドタキャン。「ふざけるなっ!」という怒りだけが込み上げてきました。全ての友人にどうしたらよいか確認してみたら、札幌の薄野(ススキノ)に良いカプセルホテルがあるよと紹介を受け宿泊した。翌日に札幌から北見を帰ろうとしたが、その日はJR札幌駅にある札幌ステラプレイスと札幌大丸がオープンの初日、私が乗車したかった「ドリーミントオホーツク号」が全て満席。泣く泣く安宿を探して意味もなく1泊、全ての行程を日記帳代わりにつけていた携帯電話故障して電源が全く入らない状態になり、札幌で無償で機種交換。キロクがなくなり、私のキオクだけとなった。
今までそういう旅などをしてきて、学んだ事や経験した事を「おもしろいかな?」と思い、こういうものを製作して見ました。その名も「都道府県カルタ」。
普通、カルタと言えば「あ~ん」までの五十音に並べてあるのが一般的だが、このカルタは違う。五十音ではなく、47都道府県である、読み手が「札幌市、時計台はビルの中」と読むと、捕り手は「北海道」となるわけですよ。実際に北海道札幌市にある時計台は、行った事がある方はわかると思いますが、本当にビルに囲まれた中にあります。今後もこういうカルタを造っていきたいと思います。